大学入試は一層門戸開放を
 世の中には奇妙なことがヤマほどある。一国の首相が声をからして改革の音頭をとっても、変なことが変なまま旧態依然、放置されていることも少なくない。そんな現状が国民の間に違和感を生み、政治不信を増幅させている。

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文部科学省(文科省)管轄の大学入学資格検定(大検)制度もそんな例の一つ。国際化時代の今日、外国人学校卒業生に門戸を閉ざす問題点を長らく指摘されているのに、改善されないまま現在に至っている。

 高校を卒業していない十八歳以上の大学受験希望者は、大検を合格しない限り、大学受験の門を例外なく閉められてしまうのだ。大検だけが本人の能力、資質を測る唯一の関門というのは何か変。大学は果たしてそれほどに閉鎖的な高等教育の場でなければならないのであろうか−と考えていたら、同省は大学受験資格の現行の在り方を、ようやく来春の入試から大幅に見直す方針を発表した。

 これにより、高校を卒業していない人でも、志望先の大学が認めれば、大検を経ないで受験できるようになる。あまりにも遅い、しかし半歩前進の措置だ。

 同省が中央教育審議会大学分科会に報告して了承を得たもので、この結果、高校を卒業していない大学受験希望者の受験ルートは、これまでの大検一本から(1)大検受験(2)受験希望大学の審査を受ける(3)卒業生全員に資格を認める外国人学校を卒業する−の三ルートに拡大する。

 文科省が審査対象者につける条件は唯一「十八歳以上」の年齢制限だけという。

 国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利があり、学問には広く国境を越えて接すべき根源的性格がある。管理、運営する立場のみからこの問題を偏狭に考えると、後世に甚大な後遺症を残すことになりかねない。

 ちなみに、今年は本県の生んだ世界的板画家棟方志功の生誕百年。ここで少し頭をひねって考えてみよう。好奇心旺盛な彼が今、仮にどこかの大学を受けようとしても、現状では大検に合格しない限り、大学の受験資格さえ得られないのだ。あれほどの人間だ。明らかに変な制度ではないか。

 大検は専門に大検の受験勉強をしなければ合格は難しいという。これでは板画や油絵をライフワークにしながら、大学にも通って研究を深めたい人の学問の自由は、はく奪されたも同然だ。

 逆に言えば、一芸に秀でた学生の入学を促進し、学内の活性化を図ることは、そうした学生の門前払いをせざるを得ない現行制度では、不可能ではないか。これでは大学、学生双方にとって、はなはだ不幸で不都合なことと言わなければならない。

 これまで大検を経ない受験生に門戸を閉ざしてきた国立大の中にも、こうした不条理に反対し、改革を模索する動きは出ていた。

 京都大は昨年から民族学校などの入学資格について検討、今年七月には外国人学校卒業生らに資格を認めるよう、同省に要望書を出した。東京外国語大もこの七月、外国語学部教授会が同省に外国人学校卒業生の資格の認定を求め、認めない場合は同大が独自に認めるよう学長に求めた決議を採択した。

 文科省が方針転換を決めたのはこうした動きが底流で強まってきたためかもしれない。

 この際、国民の目線から文科省に注文したいことがある。(1)名実ともに学問や研究を自由にできるよう規制を解除、改善してほしい(2)一芸に秀でた人間を引き抜いてでも大学入学を認め、個性ある卒業生をもっと送り出してほしい(3)国際化に合わせて外国人の入学をより自由化し、外国政府にも同じ措置を求めてほしい…。

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